発言に責任を持つとは

こんばんわ。今日哲学したことをそのまま書いてみようと思います。

皆さんは人を信用するときにどんなところを評価しますか?

よく言われるのは第一印象かと思います。

清潔感や身振り手振り、どんな言葉を使うのか。

それを評価の軸として実際の行動を観察したり、その後の行動を見てみたり。

特にも僕が大事にしていること、それは実現したい未来を語った後にどんな行動をとっているかについてです。

今日は文字数は少なく、責任のある人とない人の違いについて言語化してみようと思います。

発言に責任のない人

僕もまだまだ、他人任せな部分がありますが、できる限り自分が責任をとれることを軸に発言をしています。

例えばお金に困らない世の中にしたいという将来のビジョンがあるときについて。

庶民にお金がないのは政治や制度のせいだ。そんな議論がよくあると思います。

この発言に対して自分ができることは何でしょうか?

選挙で投票すること?報道をみて文句を言うこと?居酒屋で愚痴を言うこと?

つまり、ビジョンと自分が行動できることの乖離が生まれていることがあります。

もちろんビジョンは大切なことですが、この問いに対しての答えは政治家になることではないでしょうか?はたしてどれほどの人が政治家になってまでそのビジョンを達成するのでしょうか?

どうしても人は自分が行動せずに環境に対して評論家になる方が圧倒的楽です。それを知ったうえで、自分ができる行動をとることが僕が大事にしていることです。

発言に責任を持つ人

一方で同じビジョン「お金に困らない世の中にしたい」 に対してどんな行動がとれるでしょうか?

僕の答えは、まずは家計の状況を見直しましょう。余裕があれば貯金をしてみましょう。さらに時間をかけれる人であれば節税しながら投資をしてみましょう。その流れを家族や友達と話して少しでも実行してもらいましょう。少なくとも身の回りの見える人はお金に困りにくい人たちの集団になっているかと思います。

一つ一つは個人にとってチャレンジの連続です。だって投資って聞くと怖いし、お金の話は他人とするのはタブーな雰囲気だし・・・。

そんな状況を政治に丸投げする方がより解決を遅らせている要因かと思います。

前回の未来と現在の話をしたように、未来に向かっていくことは人にとっては新たな気づきが増えわくわくした生活となると思います。

僕は大事なことは一つずつ自分ができることを増やしていくことが重要と考えます。

まとめ

いかがでしょうか?

人間批判家になりがちですが、ぜひ批判されるくらい行動する人生も楽しいと思います。

案外日々が充実してくると自分の人生に集中しているので人からの批判は気にならなくなってくるものです。もちろん限度はありますが。

僕は行動していってくれる人を育てていきたいと思ってチームビルディングやこのブログのような情報発信をしています。

また次の記事でお会いしましょう。

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